『失われた文明』(ゴルボフスキー著、講談社現代新書1972) によると、
世界各地の神話物語に共通して見られるのは、鳥=太陽、蛇=闇と洪水、という対立の図式であるという。そして、
「日本の神話のなかでは、へびをくわえている神聖な鳥・ベング(おおとり?)という形で表現されている。」(71p)
と書かれるのだが、「おおとり?」は訳者の注釈かもしれないが、ベングが何のことかよくわからない。また、
「仏教の伝説によれば、インド、日本、中国でもまた大水すなわち洪水のシンボルであるへびのナーガもまた湖に住み、人々が聖木に近づくのを防いでいる。」(100p)
古い日本語に蛇を意味するナギという言葉があるらしいが、ナーガはよくわからない。ここでいう「聖木」とは、「シンボルとしての智恵の木」のことで「日本でこの役割を演じているのはみかんの木、中国においてがカシヤ(肉桂)の木、……である。」(98p)
みかんは橘のことかもしれないが、橘は生命の木、桜は智恵の木ともいうようだが、これは外来思想だろう。
・・・というわけで、この本についての評価は難しい。

ここからが本文である。
世界中の神話伝説に見られる洪水伝説が、日本にないのは不思議だとは、他の人の本でも読んだことがあるが、古事記にはないこともない。

1つは、海を知らす須佐之男命、須佐之男命の犯した天津罪のいくつかは、洪水被害のようにも解釈できる。畦を破壊し、用水の溝を埋め、水を引く樋を破壊し、田の標の串を流した。須佐之男命は、洪水のシンボルのようにも見える。この海の神は、それ以前には、泣いてばかりいた。涙と海水の関係を示唆しているのかもしれない。

2つめは、山彦の海神宮訪問。海神宮を訪れた山彦は、しばらく海中で暮らした後、潮満珠と潮干珠を海神から授かった。そして潮満珠で洪水をおこし、海彦を溺れさせて従わせた。
あるいは、山彦はその名の通り山であるなら、移動せずとも、海面が上がったために海中生活をした時期があったとの解釈もできなくはない。

2つとも、小規模な洪水であり、洪水を起こす神は、一神教のような絶対神ではない。一神教のような破滅的な大洪水ではないだけの話である。

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