日本語についてのエッセイなどのアンソロジー「日本語で生きる」といふシリーズは、福武書店から刊行され、その1『この素晴しい国語』は、"大野晋 編"とある。
同書のなかの、塚本邦雄「いろはうた」に、いろは四十七文字を使った「うた」が多数引用されてゐた。有名な「あめつち」と「いろは」、そして近世中期以降の作などである。

近世の作は、仮名遣ひが恣意的でいけない。ただし本居宣長以外は。本居宣長は、こんなもの(?)にも関心を示すのが面白い。

 

明治以後は、新聞社の募集の作などであり、内容は、個人の感情やメッセージを込めたもの、地名・苗字などの無作為の羅列で、面白みがないものが多い。地名の羅列は、昔の歌の伝統もあったと思ふが、たとへば、鉄道の1つの路線の駅名を、多少の通過駅があっても、出発から順番に辿るのでなければ面白みがない。

 

30年ほど前の自作の歌は、内容の面白みはそこそこだが、「遅悪子(おそわろこ)」といふ造語を使ってしまったのが難点。
遅悪子とは、最後に生れた悪い子のことで、古事記では、伊邪那美命が最後に生んだ火の神・迦具土神のことである。

 

ちはやふる 黄泉(よも)つ伊邪那美
おそわろ子 在らせ終へ得
めのほとに 受けし傷ゆゑ
隠れ居て ねむり給ひぬ


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