歴史的仮名遣ひは。少しのルールをおぼえるだけで、それほど難しいものではない。

 

歴史的仮名遣ひがどんなものかについては、Wikipediaの記述がわかりやすい内容になってゐる。
歴史的仮名遣ひは、平安時代の古今集から源氏物語・枕草子などの女流文学全盛時代の仮名遣ひを手本に、江戸時代に本居宣長が集大成したものであるが、字音仮名遣(祈願をキグワンと表記)は歴史的仮名遣ひとは別のものとする考へが広く存在し、時枝誠記・福田恒存・丸谷才一らの名がWikipediaであげられてゐる。この三人は昭和時代以後に活躍した人だが、明治時代からこうした考へはあった。それで良いと思ふ。

 

字音仮名遣ひについては、要するに、漢語である「祈願」にキグワンなどとふりがなを付けるときに意識されることもあるが、普通はいちいち仮名はふらないので、さほど問題にはならない。
例外的に、仮名表記が普通のものがいくつかある。
 〜の様な 〜の様に
これらも、「〜のような、〜のように」で良いと思ふ。(丸谷氏は、例外的に「やう」)
 「〜の所為で」は、当て字なのだが、「為」の字にとらはれて「〜のせゐ」と書く人もいるが、「せい」が正しいようである。

 

そのほかでは、語源説の問題かもしれないが、指示代名詞ないし接続詞の類の
「かうして、さうして、だうして」も、
「こうして、そうして、どうして」と表記した昔の人の例がある。
「かうして」は「かくして」の音便形かもしれないが、「さうして」は、単に「さ」を伸ばしただけなのかよくわからないし、「そして」といふ短縮形との関係はどうなのか。
わが先祖の例もあるので、「こうして、そうして、どうして」と表記することにした。

 

仮名遣ひではなく、漢字表記の問題については、
丸谷氏は、「文芸」ではなく「文藝」、「証明」ではなく「證明」など、いくつかのこだはりがあるようだ。たしかに江戸時代の「證文」などは、「証文」と書いては、個人の文書ではなくお役所の文書みたいででぴったりこない。こういふのは個人のこだはりで良いと思ふ。
また、戦後の代用漢字のようなもの…… 例へば「障碍」を「障害」と書く例では、おそらく公文書で「障害」の表記が徹底されてゐると思ふので、現行に従ふのもやむをえないかもしれない。「障碍」といふ表記はほとんど見かけない。
「麻薬」を正しく「痲薬」と書く人も、今は少ないかもしれないが、「痲痺」は見かける。「麻薬」は法律家の表記で、「痲痺」は医者の表記であることがその理由かもしれない。「痲痺」は2文字とも「病だれ」であるのに、1字だけ勝手に変へるのもをかしい。

大麻といふ植物から作られる痲薬の一種であるタイマは、大痲でなく大麻と表記されるようになったが、その経緯は不明である。


戦没者追悼式などで、行なはれれる献花について。
これは、日本独自の新しい慣習のようである。おそらく、神道の玉串奉奠などを参考にはしたが特定の宗教色にならないように考案されたもののように思はれる。

 

欧米でも献花はあるようだが、日本の献花のように1輪ではなく、花束を捧げることが多い。花束の持ち方は当然、左高(左が花で高く持ち、右は根元を低く持つ)である。勲章やアクセサリーを左胸に着けるように、花束も花が左胸になるように左高である。日本でも玉串は左高に持ち、歌手などが花束を持って歌ふときなど左手で左高である。

 

ところが、日本の献花の作法では、統一はされてゐないが、右高が多くなってゐるようなのである。
Googleの画像検索を試みてみたら、解説イラストの上位10件のうち、8件が右高。左高は2件のみだった(昨年)。

 

「冠婚葬祭」のマナーやら作法やらについてネット検索してみると、著名と思はれるサイトは、
「冠婚葬祭マナー百科」 http://5go.biz/kankon/ 〜 「献花の作法
である。他は葬儀ホールなど企業サイトのページばかり目立つのだが、このサイトは自動広告は入るものの、ネット上では長期にわたって支持のありそうな「老舗」の印象がある。この「冠婚葬祭マナー百科」では、献花の花の持ち方は、左高だと言ってゐる。「玉串の捧げ方に準じます」とも書かれてゐる。多くの企業サイトは右高だといふが、「冠婚葬祭マナー百科」では左高である。

 

そこで思ふのは、日本の献花も、最初はやはり、左高が普通だったのではないかといふことである。

 

日本の玉串も欧米の花束も、左高に持つ。利き手の右手でしっかり茎を持ち、左手は花に近い位置を下から支へるといふのが自然な形だらう。

いつから右高が広まり始めたのか、写真資料が多ければ調べることも可能かもしれないが、見つからない。
日本で右高だといふのは、どのような理由付けが想定できるだらうか。

あるいは、政治家でも左高の人の写真も見つかるが、最近の総理大臣は右高が実に多い。政治家の発想としては「右肩上がり」が好ましいといふ縁起担ぎで始まったといふ説(?)もあるかもしれないが、いかがなものだらう。 

 

最初のころ、葬儀などで、係員は左高に持ったが、手渡しの作法を教へてもらってないので、そのままスーッと参列者に差し出した。参列者は、受け取ったときは右高になり、献花などは慣れてないので、そのまま献花台へ歩いて行った。

これが可能性としては高いような気がする。(手渡すときは左右を持ち替へてから渡すと良いのだが……)

 

なほ、天皇皇后両陛下の場合は、花束は左高にお持ちになるが、前へお進みのときなどで、ときどきまっすぐに立ててお持ちの写真がある。国民の意見が統一されてゐないのでそうなさるかのようでもあったが、そうではなく、神道儀礼での陛下の御玉串は、大きさも"特大"で、垂直に立てたまま御奉奠になるので、それを連想した次第である。


日本語についてのエッセイなどのアンソロジー「日本語で生きる」といふシリーズは、福武書店から刊行され、その1『この素晴しい国語』は、"大野晋 編"とある。
同書のなかの、塚本邦雄「いろはうた」に、いろは四十七文字を使った「うた」が多数引用されてゐた。有名な「あめつち」と「いろは」、そして近世中期以降の作などである。

近世の作は、仮名遣ひが恣意的でいけない。ただし本居宣長以外は。本居宣長は、こんなもの(?)にも関心を示すのが面白い。

 

明治以後は、新聞社の募集の作などであり、内容は、個人の感情やメッセージを込めたもの、地名・苗字などの無作為の羅列で、面白みがないものが多い。地名の羅列は、昔の歌の伝統もあったと思ふが、たとへば、鉄道の1つの路線の駅名を、多少の通過駅があっても、出発から順番に辿るのでなければ面白みがない。

 

30年ほど前の自作の歌は、内容の面白みはそこそこだが、「遅悪子(おそわろこ)」といふ造語を使ってしまったのが難点。
遅悪子とは、最後に生れた悪い子のことで、古事記では、伊邪那美命が最後に生んだ火の神・迦具土神のことである。

 

ちはやふる 黄泉(よも)つ伊邪那美
おそわろ子 在らせ終へ得
めのほとに 受けし傷ゆゑ
隠れ居て ねむり給ひぬ


子(ね)の日の小松

2016.08.26 Friday ◇ 雑記Edit

<一昨日の続き>

一昨日にも書いた『和漢朗詠集』の「子日付若菜」に載る菅原道真の詩。

 

「松樹に倚り、以て腰を摩で、風霜の犯し難きを習ふ」

 

について、
やはり落語の「寿限無」に出てくる「五劫の擦り切れ」を連想したのだが、それはともかく・・・、

松の樹に倚りかかると、樹皮は堅くて、悠久の昔から天女が衣を掛け、長い長い年月にわたってもなほ変ることのない松樹。
たしか菅原道真自身も、九州太宰府への旅の途中で、衣を掛けたといふ衣掛松の伝説の地もあったと思ふ。ほかにも旅をした幾人もの歌人に、衣を掛けて将来を祈ったといふ、同様の伝説がある。

 

子の日について、前述の壬生忠岑の和歌もあるが、
江戸時代の鈴木春信の絵に書かれた和歌がわかりやすい。

 

 子(ね)の日とて今日引きそむる小松はら木たかきまでを見るよしもがな

 

年の始めに野辺で小さな松を引いて、家の庭に植ゑる。その木が高く成長した将来の姿を見る方法はないものか、といふ意味である。
逆に、後世の者からいへば、よく成長した松を目の前にして、誰が植ゑたのだらう、植ゑた人に見せたいものだと思ふこともあらう。


「倚松帖」とは

2016.08.24 Wednesday ◇ 雑記Edit

「倚松帖」とは、我が家の幕末のころの当主が書き留めた、覚え書き帳の題名である。ブログのタイトルに拝借した。

覚え書きといっても、当座の小さい帳面ではなく、菊判サイズの厚めの良質の紙を二十葉ほど綴ぢて、丁寧に清書されたもので、手習ひの教本のような体裁になってゐる。

内容は、江戸時代の御触書などのうち家訓とすべき内容のものや、詩歌などが、書き写されてゐる。おそらく、家督を譲ったあとの晩年、明治初年ごろ書かれたものと思はれる。

 

その書の、詩歌の写しの冒頭は、『和漢朗詠集』の一節「子日付若菜」であった。

 

倚松樹以摩腰。習風霜之難犯也。
(松樹に倚り、以て腰を摩で、風霜の犯し難きを習ふ)
和菜羹而啜口。期気味之克調也。
(菜羹を和して口に啜り、気味の克く調はんことを期す 雲林院行幸 菅原道真)

 

子日(ねのひ)する野辺にこまつのなかりせばちよのためしになにをひかまし(壬生忠岑 拾遺集)
    (以上、和漢朗詠集〜子日付若菜より)

 

正月の子の日に、野辺に出て、若菜を摘み、小さい松を引くといふ子の日の遊
年の始めに、常磐樹である小松に触れて、長い年月に思ひを寄せ、長寿を祝ひ、そして七草粥をすする。
小松引きとは、野辺に自然に芽生へた小さい松を、引き抜いて持ち帰り、自宅に植ゑることであり、正月の門松をそのようにしつらへた地方もあったとのことである。
次代の繁栄を祈ってのものでもあらう。

英語で言へば、wish you ... となる。


教科書の悪文について

2016.08.22 Monday ◇ 日本語Edit

東京新聞(8.21)に『教科書 読み取れない』『中学生 複雑な文章苦手』という大きな記事が載っていた。「中学生の半分近くが教科書を正しく読み取れていない」というので、それならば、ゆゆしき問題のようにも読める。日本の中学生はまだ発展途上のロボット知能程度の能力だともいう。

しかし記事はどうも歯切れの悪い文章が続くので、途中で、記事の別枠に例示してある、教科書からの試験問題3問を読んでみた。

 

どうということはない、教科書の文章というのは、悪文の見本のような文章である。

 

現代の悪文の代表例は、要するに、英語文の関係代名詞を直訳したときに複雑怪奇な構文となるような、あの文章のことである。
そこで3つを検討してみよう(画像参照)。

1は、正答率はかなり高かったらしい。
「太陽の400万倍の質量もつ」が「ブラックホール」に係り、「太陽の」の直前に句読点もあり、わかりにくさは少ない。「太陽の400万倍の質量もつ」と断定的な強い表現があるが、文末は「推定されている」と弱い表現になるのがやや奇妙な感がある。おそらくは「太陽の400万倍の質量もつ」ものが存在することは様々な観測結果から明白なことなのだが、太陽のように光を発しないので、仮に「ブラックホール」と呼んだ、というような経緯が反映されてのことかもしれない。

 

2は、正答率 中学生53% 高校生81%。
宗教名と地域名という「主語〜目的語」の組み合わせが3組並列し、最初の2つは「述語」を省略し、文末に1つだけ「おもに広がっている」という「述語」がある。3つの並列文の中には、「東南アジア、東アジアに」という並列表記が入り箱のように入りこんでいる。この地域名の区切りは読点(、)であり、3つの並列文の区切りも同じ読点である。「東南アジア・東アジアに」と中黒点を使えば少しわかりやすくなるという意見もあるだろう。「仏教は、東南アジア……」というふうに主語の後に読点を入れるとよいが、入れないのは、読点が多すぎてしまうためだろう。
知識があれば、「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教は」とくれば、「東アジアに」の次に何が省略されているかは想像がつく。しかし中学生では無理かもしれない。
(なお、文章内容の問題として、オセアニアをキリスト教で代表させるのはいかがなものか。)

 

3は、正答率 中学生9% 高校生33%。かなり低いが、一般の大人も意味を知らないようなアミラーゼ、グルコースといった専門用語があり、中学校の国語科のテキストとして適当かどうか問題があろう。
後半の文、「同じグルコースからできていても、形の違うセルロースは分解できない」というのがわかりにくいわけである。
文頭の「アミラーゼという酵素は、」で主語を示す読点があると少しわかりやすいだろう。
末尾の「セルロースは分解できない」の「は」は、目的語を示し、「デンプンを分解するが」の「を」と同じである。2つの並列文なのだが、目的語を示すのに「を」と「は」で助詞が異なる。「は」は、並列文のうち一方を強調したいときなどに使うものであるが、「セルロースを分解することはできない」と「は」の位置を変更すれば少しわかりやすくなる。

 

以上、新聞記事に取り上げられた3つの例文を見た限りでは、問題なのは、教科書の悪文であろう。

 

これらの悪文を、関係代名詞を用いた英語文に翻訳し、その英語文を、英語のロボット知能に解読させてみたとき、日本語のロボット知能より良い結果が出るような気がする。それは人間に対しても同様で、日本の児童よりも、英語圏の児童のほうが成績が良いことになりそうである。
あるいは、英語文を、日本語の悪文で翻訳し、「世界共通試験問題」として日本の児童に課すとしたら、どうなるであろうか。

 

(蛇足) 例文3で「中学生の正答率9%」といのは、四者択一の問題にしては低すぎないか。

 


昭和天皇の仮名遣ひ

2016.08.21 Sunday ◇ 日本語Edit

先年(平成27年(2015))、『昭和天皇実録』が公開刊行され話題になったが、中央公論社の新書判で『「昭和天皇実録」の謎を解く』(半藤一利ほか著)を昨年読んだ。
終戦の御決断における貞明皇太后の存在。また、戦時中に天皇へ虚偽の報告ばかりしてゐた一部の大臣について、やはり天皇の御評価は戦後に至っても低いものであったことなど、あらためて再認識できた。

 

『「昭和天皇実録」の謎を解く』の中に、明治四十三年、昭和天皇が九歳のときの手紙が引用されてゐる。歴史的仮名遣ひで書かれた手紙の主要部分を、次に写し書きしてみる。アンダーラインは筆者によるもの。

 

「まだやっぱりおさむうございますが、おもうさま、おたたさまごきげんよう居らっしゃいますか、迪宮(みちのみや)も、あつ宮も、てる宮も、みんなじょうぶでございますからごあんしんあそばせ

私は毎日学校がございますから七じ四十五分ごろからあるいてかよひます

四じかんのおけいこをしまつてみうちにかへります。そしておひるをしまつてたいてい山や、村や、松林などにでておもしろく遊びます

またときどきせこに行ってにはとりなどを見て、これにゑをやることも有ります
またはまにでてかひをさがすことも有ります、しかし、かひはこちらにはあんまり有りません、葉山にはたくさんございますか
きのふはおつかひでお手がみのおどうぐやおまなをいただきましてありがたうございます。
おもうさま
おたたさま
  ごきげんよう
 二月四日 (以下略)」
(明治四十三年)

 

「やつぱり」でなく「やっぱり」などといふ表記は、原文通りではない可能性もあるが、「じょうぶ」「どうぐ」といふ字音の仮名表記は、そのままなのではなからうかと思ふ。
辞書を引くと、丈夫は「じやうぶ」、道具は「だうぐ」といふ仮名表記が見られる。
我が家には明治末から昭和前期(20世紀前半)に曾祖父などが書いたものが沢山保存してあるが、字音は「じょうぶ」「どうぐ」といった類の表記で、例外なく徹底してゐる。
曾祖父の場合は、「〜のやうな」ではなく「〜のような」などの表記であり、字音については徹底してゐる。

このような表記は当時一般に多く行なはれてゐて、昭和天皇も同様であったのだらうと思ふのである。中学生以上になれば、丈夫、道具などと漢字表記が普通とならう。

 

字音の仮名表記は、発音に近い表記で、といふことについては、昔から多くの支持があったわけで、一方における伝統といってもよい。



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